澤渡 信之教授 SAWADO Nobuyuki
トポロジー、ソリトン、非線形数理の楽しみ
私は理論物理の研究者(仲間内では理論屋と言いますが)です。一般の社会だけでなく、学問の世界においても『その研究が何かの役に立つこと』に大きな価値を見出す考え方が主流です。でも、少なくとも理論屋にとっては『なんの役にも立たないこと』が一番大事です。当面役に立たないように見えるものの方が、視野が広く(無限の応用の可能性があり)、遠くまで見通せる(いつの日か使い物になる)からだと思います。(若者を評するのに、泥のいっぱいついたジャガイモという言い方があります。その心は、よく洗えば皆の美味しい食べ物になる。)私はソリトンという非線形数理の解を通して世界の成り立ちを理解したいと思いながら、長年理論屋をやってきました。
ソリトンと相互作用するフェルミオンの数理と物理
ソリトンは、非線形な模型における、ある性質を共有する特殊解の総称です。それは、極めて安定で、かつ衝突などを経た後もその形状に変化が見られないものという定義になります。特に、数学のトポロジーの概念を応用して構築されるトポロジカルソリトンは、当初は原子核を表す解の一種でしたが、その後宇宙論から物性物理学等も含めた広範な分野への応用が盛んに議論されるようになりました。下の図は、6次元時空(!)における膜宇宙をつかさどるソリトンの空間分布を表したものです。
一方、ソリトンの持つトポロジーにより、物質を構成するフェルミオンはソリトンの内部に局在する性質を持ちます。これは微分幾何学における有名な定理の一つであるアティアとシンガーの指数定理の帰結ですが、様々な応用が考えられています。実際、我々の住む宇宙も上記の膜宇宙ソリトンへ局在したものと考えられており、(信じるかどうかはさておき)実に刺激的なアイデアだと思います。ここでは、膜宇宙ソリトンに局在するフェルミオンのエネルギー準位の特有の挙動(スペクトルフローと言います)をお見せしておこうと思います。
非線形発展方程式のソリトンの世界:木星の大赤斑と深層学習
トポロジカルソリトンとは別に、流体力学に起源を持つ非線形数理のソリトンの大きなクラスが知られています。有名なものはK-dV(Korteweg-de Vries)方程式のソリトンですが、解析的に(紙と万年筆で)解を得られるということもあって、膨大な研究がなされました。興味深い応用問題として、木星大気の通称”大赤斑”があります。これは、およそ400年の間ほぼ形状を変えないまま存在し続ける高気圧性の孤立渦です。こうした超安定な現象からは非線形ソリトンの香りが濃厚に(笑)漂ってきます。図は中間地衡風力学と呼ばれる力学系に関して解析を行った際の解の一例です。
理論物理学の計算は、まず、(i) 対象となる模型や方程式を選び、(ii)何らかの手法で計算し、(iii)実験や観測事実と照合する、という手順によって行われます。最近になって、異なる発想に基づく研究手法、例えば物理データに基づく深層学習(PINNs: Physics Informed Neural Networks)が登場しました。これは、観測データ等を人工ニューラルネットワークに適切に学習させることで、その現象の支配方程式を探索しようという野心的な手法です。これによって、大赤斑の長寿命の起源の秘密が明らかになる可能性があります。PINNsが自然科学における主要な解析手法の一つになるだろうという予感がします。
これからの物理学
物理学はカビの生えた古臭い学問だと言われることがときどきあります。(中学や高校の教科書の内容からそう感じることもあるでしょう。)近年の科学の進歩に伴い、研究のやり方も多種多様になってきました。現代における物理学の研究も、単なる教条的、演繹的なやり方に留まることなく、新たな気づきや発見に満ちたものになりつつあります。フレッシュな視点と斬新な発想で自然の根源的な理解を目指そうとするとき、これからの新しい物理学は夢のように楽しいものになると思うのです。