森信雄先生との思い出
- OB・OG
- 大村智先生(昭和38年,大学院理学研究科修士課程修了/2015年ノーベル生理学・医学賞受賞) 北里大学特別栄誉教授
今回は,以前に理学部第二部学部長を務められていた森信雄先生の思い出を,北里大学特別栄誉教授の大村智先生に語っていただきました.理学部第二部に関するコメントも頂きました.受験生,在学生,OB・OGはもちろんのこと,現職の教職員の方々にも是非ご一読いただきたい内容です.
その前に,少しだけことの経緯を説明させてください.
現在,理学部の第二部の歴史に関するページを製作中なのですが,その中で,歴代学部長のページを設ける予定です.しかしながら,森先生は今からだいぶ前に,在職中に倒れられたとのことで,森先生を直接知る現職の教員が一人もおりませんでした.そこで,ネットやいろいろな書物を調べていると,まさかとは思いつつもどうやら大村先生とつながりがあることが分かってきました.
今回,森先生と大村先生の画像だけでも使わせていただけないかと電話で大村先生にお願いしたところ,お会いして詳しいお話を聞かせていただけるということになりまりました.願ってもない話で大変有り難く,是非,またとないこの機会を活用させていただければと思い,インタビューが実現いたしました.当日は理学部第二部化学科の秋津貴城先生にも同席していただきました.
昭和36年当時,東京理科大学理学部は,学生の所属という意味では第一部,第二部と別れておりましたが,教員組織は現在のように分離しておらず,全く同一の組織でした.化学科には8つの研究室があり,都築洋次郎先生の研究室は化学科第八研究室と呼ばれ,都築先生が教授,森先生は講師でした.このころに大村先生が大学院理学研究科に入学されました.以下,貴重なエピソードを紹介させていただきます.
以上文責:理学部第二部数学科 佐藤 隆夫
【森先生のお人柄などをお聞かせください】
私は当時,都築洋次郎先生の研究室に所属していまして,森先生は講師でした.東京理科大学には3年ほど在籍していましたが,その間に森先生は助教授に昇任されました.
森先生は,実直で真面目,話すときはひとつひとつ言葉を選んでいるかのようで,時々,冗談を言うこともあるけれど,言ってる本人が赤くなるくらい真面目な先生でした.私とは歳もそんなに変わらず,兄貴のような存在でした.森先生はグルメで良く昼食を食べに行きました.ごちそうになったこともあります.美味しいものからまず食べろとよく言われました.(笑)お酒を飲むこともあるけれど,あんまり酔わない感じで,いつも姿勢を崩さず几帳面な先生でした.
森先生が倒れられたとき,手術は成功して一旦は快方に向かったけれど,予後が悪く,体調を崩され亡くなられたと聞いています.
二人で写っている写真は,京都かどこかで行われた化学系の学会で講演したときに,近くで撮影したものです.
【森先生と研究面での思い出などをお聞かせください】
オキシ酸や糖の誘導体を作り,それらの立体構造を研究するというのが都築先生の研究テーマでした.私もそれに加わって,グルコースの誘導体で,界面活性を有する化合物を作る研究を行っていたのですが,論文をまとめかけた時に横浜国立大学の先生に同様の研究論文を発表されてしまい,それまでの研究を中止することになりました.そこで,都築先生が,「森先生,大村君の面倒見てくれないか」と森先生に依頼され,そこから森先生に研究の指導をしていただくことになりました.
森先生とは都築先生と共に7報の共著論文を発表しています.これには東京理科大学の修士課程を修了して山梨大学に勤めていた時に,合成した化合物を森先生のところに送ったりしてまとめあげた論文も含まれています.当時,我々はオキシ酸分子内の水素結合の様子を,IRを作って調べていました.そのオキシ酸も市販されていないような化合物を合成して用いていました.
また,当時はNMRが出始めたころです.日本には1,2台くらいしかありませんでした.東京理科大学にあるものは40メガしかなかったです.そこで,60メガのNMRがある東京工業試験所で機器を使わせてもらい,夜中の時間を使って研究を行いました.(※1)乳酸やリンゴ酸を始め,分子量の大きい化合物の分子内の水酸基と,カルボニル基やフェニル基のπ電子との水素結合を調べていました.
修士課程を修了して3年目くらいの頃に,吉田善一先生(後に日本化学会会長などを歴任.)がアメリカからプリンストン大学のP. フォン シュライヤー教授をお招きするということがありました.シュライヤー教授は当時,私と同じ研究をされていました.わざわざ私が勤務している北里研究所まで来てくれるということは,我々の研究に興味を持ってくれたということ,つまり,我々の研究が評価されてきたんだと思うと嬉しかったです.
【都築研での活動の様子などをお聞かせください】
都筑洋次郎先生のお弟子さんに,山本修さんという方がおられました.後に工業技術院科学技術研究所(東京工業試験所の後身)の部長をされた方です.その方が東京大学の藤原静夫教授らが企画されたNMRに関わる研究会に森先生と一緒に出席しました.15,6人だったと思います.このような所で学んだことがその後の抗生物質の構造解析研究に役立ち,本当に良かったです.
当時は神楽坂キャンパスで研究していましたが,市ヶ谷のグラウンドを借りて教室対抗ソフトボール大会などもやりました.
都築先生は山がお好きで,よくみんなで山に登りに行きました.そんなことで都築研の同窓親睦会を称して八峰会(はちほうかい)といいます.(注2)都築先生は山梨のご出身でしたから,山梨にある山をいくつも登りに行きました.夜叉神峠(やしゃじんとうげ)もそのうちの一つです.
ノーベル賞を受賞した後で,八峰会のメンバーがお祝いをしてくださいました.そのときに,当時の都築研の集合写真を頂きました.森先生も写っておられます.
森先生は本当に都築先生に尽くしておられて,学生の面倒もよく見ておられました.私も論文指導をしてもらいました.私が書いたものを森先生が直して,それを都築先生が直してくださいました.「とにかく英語で書け」と良く言われました.なので,最初の論文(※3)も英語で書きました.
最近,理科大から連絡があって,私が書いた修士論文が残っているとのことです.記念に写真を撮って保存したいという依頼でしたが,たいへん懐かしく思います.
【北里大学に移られた当時の思い出をお聞かせ下さい】
山梨大学で助手をしていた時に,もう一度東京にでて研究をしたいと考えるようになり,山梨大学に辞表を出しました.東京理科大学薬学部にポジションがあるということでしたが,その後,それが駄目になってしまいました.そこで,山川浩司先生のご紹介で新卒の人たちと一緒に北里研究所の採用試験を受けて,技師補という身分で採用されました.そこで,NMRを駆使してロイコマイシンなどの物質の構造を決定する研究などをしていました.
当時,市販されていた抗生物質といえども構造がよくわかっていないものがたくさんありました.それを次から次へと構造決定していくと,次第に周囲も認めてくれるようになりました.それが嬉しかったです.
【森先生とのご研究や教えなどでノーベル賞受賞につながったと思えるようなことがありましたらお聞かせください】
それはやっぱり,NMRやORDなどの機器の扱いに慣れていてデーターを解析できたことが,その後の研究に大きく役立ったことです.NMRは当時最先端の機器でしたから,扱えるような研究者があまりいなかったんです.北里大学に移ってからも,皆,使い方やデーターの読み方が分からなかったのでよく私を頼って聞きに来る先生がいました.理科大時代に身につけた知識・技術は本当に良かったと思っています.
【その他に都築先生,森先生との思い出はありますでしょうか】
以前に,化学系の二つの受賞に関して,森先生からお祝いを頂いたことがあります.銀色の刻印がある立派な額です.それを頂いたときは嬉しかったです.
都築先生は,「科学・技術人名事典」というものを書かれていて,世界中の学者の名前が載っているんですが,そこに私の名前があるんですね.日本人の名前はそう多くはないですよ.それも嬉しかったことです.
当時,私は,研究は本気でやらなければという気持ちが強かったです.夜中でも土日でも遊び半分ではできなかった.そういう私の姿を見ていたからかわかりませんが,東京理科大学80周年記念式典で学生代表としてお祝いの言葉を述べさせていただく機会に恵まれました.
都築先生,森先生のどちらが推薦して下さったのかは分からなかったけれど,当初は受ける気はなかったので断りましたが,先生方の強い推薦でお引き受けすることにしました.
そうしたら,当日は文部大臣から何から錚々たる来賓があったので,大変名誉なことだと思っています.
【夜間教育に対してのコメントなど】
—- 大村先生は夜間の定時制の高校の教壇に立たれ,我々理学部第二部の教員と同じような立場をご経験されていると思います.夜間部には昼間働いていて夜に一生懸命学ぶ方がいて,大変意欲が高いです.そういう学生の姿を見ると,とてもではないが,いい加減な指導なんてできないんですよね…
その通り.本気で勉強する学生はしっかり教育することが一番大事だと思います.ちゃんと教えなきゃ駄目です.
—- 近年,夜間部は減少傾向にあって,無くそうという動きもあるのですが…
そうなんですか.本気で勉強したいという学生が一人でもいるなら,絶対に廃止なんかしちゃだめです.本気で勉強するという強い意思がある人が世の中を変えていくと思います.
大学として二部を守っていく使命があると思います.そもそも,理科大は夜間部から始まったんでしょう?二部をやめることは絶対にダメです.絶対にやめちゃいけない.
そのためには理科大全体がサポートしていかなければ.生徒数が少なくなったからといって廃止してはだめだと思います.
【理二の学生へのコメントを頂けますでしょうか】
私は当時,22歳で墨田工業高校の教員になりました.定時制でしたので生徒との年齢はそんなに変わりませんでした.彼らの姿を見ながら思ったことで,皆さんにお伝えしたいことは,
「人生,苦しいときが勝負時,勝負どころ.そのときは大変だろうけど頑張ってもらいたい」
ということです.
—- 大村先生,このたびはお忙しい中,私たちの為に貴重なお時間を割いてインタビューに応じていただきありがとうございました.理学部第二部へのエールや,学生へのコメントもいただき,大変有り難く光栄に思っています.大村智先生をはじめ,北里生命科学研究所の秘書の方のご厚意,ご協力に心より重ねて感謝お礼申し上げます.
編集者注:
※1【高校生の皆さんへ】
平成29年現在,日本にある最高性能のNMRは900メガだそうです.決して,「たったそんなことで頑張っていたのか」などと思わないでください.当時としては紛れもなく最先端の技術でした.大村先生をはじめ,私たちの先輩たちが苦労と努力を惜しまなかったから今日の技術水準があるということを絶対に忘れないでください.
※2 「八」は化学科第八研究室,「峰」は山登りを表しています.
※3 Nobuo Mori, Satoshi Omura, Osamu Yamamoto, Teruo Suzuki and Yojiro Tsuzuki; The Proton Magnetic Resonance Spectra of Some Anomeric Glycopyranosides, Bulletin of the Chemical Society of Japan, Vol. 36, No. 8 (1963).